研究活動Activity
「社会に要請に応える新しい科学技術」に関する研究を推進するために機動性のある研究体制を構築しています。
神戸大学大学院工学研究科の鈴木望講師と名城大学の田浦大輔准教授の研究グループは、動的らせんホスト高分子 (らせんホストポリマー) の繰り返し単位とキラルゲスト分子の1:1相互作用により、らせん構造が左右 (左巻きまたは右巻き) のどちらか一方向巻きに片寄るという「不斉増幅現象」(*1) を解析する新たな方法論を開発しました。本手法は、今後、らせんホストポリマーとキラルゲスト分子の1:1相互作用を利用したキラル化合物の合成・分離・センシングの評価に役立つと期待されます。
本研究成果は、2025年5月28日に、アメリカ化学会が発行する「Journal of the American Chemical Society」にオンライン掲載されました。
ポイント
・らせんホストポリマーの繰り返し単位とキラル/キラルまたはキラル/アキラルゲスト分子の1:1相互作用を記述する平衡モデルを提示した。
・キラル/キラルまたはキラル/アキラルゲスト分子存在下におけるらせんホストポリマーの円二色性 (CD) (*2) の温度依存性や分子量依存性を解析することで、1:1ホスト–ゲスト相互作用における熱力学的パラメーターを決定することが可能となった。
背景
左手と右手のように、鏡像と重ね合わせることのできない化合物をキラル化合物 (鏡像異性体) (R体やS体)、それ以外の化合物をアキラル化合物と呼びます。キラル化合物は、その立体化学的な性質から、医薬品や甘味料、香料、除草剤、殺虫剤、液晶材料、非線形光学材料など、幅広い用途で用いられています。このため、R体やS体を作り分ける不斉触媒、それらを分離する光学分割材料や検出・定量化可能なキラルセンサーを開発することが重要となります。中でも、らせん高分子は、そのユニークな構造から、実用的なキラル材料として活用されており、その開発に向けた研究が盛んに行われています。らせん高分子は、速度論的に安定な静的らせん高分子と不安定な動的らせん高分子に大別されます。動的らせん高分子の中には、非共有結合を介してキラルゲスト分子と相互作用すると、左右のどちらか一方向巻きに片寄ったらせん構造を形成する不斉増幅現象が発現する場合があります。また、動的らせん高分子の不斉増幅現象を端的に表す法則として、majority rule effect (多数決の法則) とsergeants and soldiers effect (軍曹と兵士の法則) が知られています (図1)。前者は、らせんホストポリマーと鏡像異性体の関係にある二種類 (R体とS体) のキラルゲスト分子の相互作用において現れる現象であり、キラルゲスト分子の鏡像体過剰率に対するらせん方向過剰率 (らせんの光学純度) が正の非線形性を示します。これは、R体とS体のキラルゲスト分子のうち、一方がわずかに多ければ、多数決のように、多い方のキラルゲスト分子のキラリティに応答して、らせん構造が左右のどちらか一方向巻きに片寄ることを意味します。一方、後者は、らせんホストポリマーとキラル/アキラルゲスト分子の相互作用において発現する現象であり、キラルゲスト分子のモル分率に対するらせん方向過剰率が正の非線形性を示します。これは、多量のアキラルゲスト分子 (兵士) がらせんホストポリマーと相互作用していても、少量のキラルゲスト分子 (軍曹) のキラリティに応答して、らせん構造が左右のどちらか一方向巻きに片寄ることを意味します。しかし、上記の現象を詳細に記述することが可能な理論モデルはこれまでに存在せず、らせんホストポリマーとキラルゲスト分子の1:1相互作用における不斉増幅現象を解析することはできませんでした。
図1. らせんホストポリマーとキラルゲスト分子の1:1相互作用における不斉増幅現象.
研究の内容
本研究では、著者らが昨年度提示した左右にねじれた立体配座 (左右性) を有するホスト分子とゲスト分子の1:1相互作用の平衡モデルを、らせんホストポリマーの繰り返し単位とゲスト分子の1:1相互作用に適用し、イジングモデル (*3) と組み合わせて解析する方法を開発しました (図2)。本理論では、キラル/キラルまたはキラル/アキラルゲスト分子存在下におけるらせんホストポリマーのCDスペクトルを解析することで、1:1ホスト–ゲスト相互作用における熱力学的パラメーターを決定することが可能です。本論文では、キラルゲスト分子との相互作用によるmajority rule effectとsergeants and soldiers effectを記述するモデルをそれぞれmajority rule effect type 1:1 host–guest interaction (MRHG) モデルとsergeants and soldiers effect type 1:1 host–guest interaction (SSHG) モデルと呼称しています。
図2. MRHGモデルとSSHGモデルの概念図. GXとGYはそれぞれ異なるゲスト分子を表し、HMとHPはそれぞれ左巻きと右巻きのらせんホストポリマーの繰り返し単位を表す.KPM、K’PM、K”PM、KMX、KMY、KPXとKPYはいずれも平衡定数を示す.
ポリフェニルアセチレン誘導体 (poly-1) とキラルなアラニンやポリキノキサリン誘導体 (poly-2) とキラルなリモネンの1:1ホスト–ゲスト系 (図3) にMRHGモデルを適用したところ、いずれの場合においても、キラルゲスト分子の鏡像体過剰率に対するらせん方向過剰率の正の非線形性を再現する曲線が得られました。また、ポリイソシアネート誘導体 (poly-3) と種々のキラル/アキラルゲスト分子の1:1ホスト–ゲスト系 (図3) にSSHGモデルを適用した場合についても同様に、キラルゲスト分子のモル分率に対するらせん方向過剰率の正の非線形性を再現する曲線が得られました。これらの結果はMRHGモデルとSSHGモデルの妥当性を支持するものです。
図3. 本研究で解析したらせんホストポリマーとキラルゲスト分子の構造式.
今後の期待
本研究は、動的らせん高分子の示すユニークな不斉増幅現象を記述する1:1ホスト–ゲスト相互作用に基づく理論モデルを初めて体系的に構築したという点で大きな意義があります。今後は、ゲスト分子の相互作用が高分子全体の構造や隣接する繰り返し単位との相互作用に影響を及ぼす「アロステリック効果」を取り入れた拡張モデルを構築することで、より高度な分子認識系を設計することが可能になると期待されます。
謝辞
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(B) (21H01740)、松籟科学技術振興財団と向科学技術振興財団の支援を受けて実施されました。
論文情報
タイトル
Amplification of Asymmetry for Dynamic Helical Polymers through 1:1 Host–Guest Interactions: Theoretical Models for Majority Rule and Sergeants and Soldiers Effects
著者
Nozomu Suzuki,*,[a] Daisuke Taura,*,[b,c] Yusuke Furuta[c]
[a] Department of Chemical Science and Engineering, Graduate School of Engineering, Kobe University
[b] Department of Applied Chemistry, Faculty of Science and Technology, Meijo University
[c] Department of Applied Chemistry, Graduate School of Science and Technology, Meijo University
*Corresponding Author
掲載誌
Journal of the American Chemical Society
公表日
2025年5月28日 (オンライン公開)
用語解説
不斉増幅現象 (*1)
光学純度の低い鏡像異性体から光学純度の高い鏡像異性体が得られる現象。本研究では、光学純度の低いキラルゲスト分子から光学純度の高いらせん構造が得られる現象を指す。
円二色性 (CD) (*2)
キラル化合物に左回りと右回りの円偏光 (左円偏光と右円偏光) を照射し、それらの吸収の差を測定することで、キラル化合物の立体構造を解析する手法。
イジングモデル (*3)
互いに相互作用する上向きまたは下向きのスピンのような二つの状態を取る粒子が格子点として配置されている系において、原子のスピンの向きなどを考えるための簡易的なモデル。本研究では、らせんホストポリマーの繰り返し単位間のねじれの解析に応用されている。
リンク先
神戸大学大学院工学研究科応用化学専攻 http://www.cx.kobe-u.ac.jp/