創⽴100周年記念
モニュメント

廣田精一先生胸像



 神戸大学工学部の前身である神戸高等工業学校の初代校長である廣田精一先生の胸像が作られたのは,1929年,廣田先生がご病気のためやむなく校長を退任された年であります.廣田先生の校長退任を惜しんだ在校生,職員,卒業生から寄付が集められ,この胸像が作られることとなりました.胸像の作者は,のちに文化勲章を受章され,長崎の「平和記念像」の作者としてよく知られている北村西望(きたむらせいぼう)氏です.

 この時,同じ胸像がもう一体鋳造され,廣田家に寄贈されましたが,これがのちに私立電機学校に設置されました.これは廣田先生が,私立電機学校の創立者のお一人でもあったためであります.この2体の胸像は,戦時中に金属材料不足を補うため止む無く国に供出されたのですが,電気学校の胸像は供出前に石膏型が取られており,その石膏像が代わりに設置されていました.戦後,神戸高等工業学校は神戸大学工学部に,電気学校は東京電機大学になりましたが,1956年に東京電機大学から胸像再建の機運が高まり,KTCもこれに賛同して,残っていた石膏像を原型として2体の胸像が再鋳造され,それぞれ神戸大学と東京電機大学に設置されました.1965年に,神戸大学の胸像は西代学舎からここ六甲台キャンパスへ移設されました.

 胸像の台の裏面には,胸像除幕式における廣田先生の謝辞の中で詠われた次のような一首が刻まれています.


此すがた 我にはあらじ
いや高く 校風揚ぐる
神とこそ見れ


この一首は,一見すると廣田先生ご自身を神格化せよと言っているように見えますが,実は決してそうではありません.胸像の除幕式での廣田先生の謝辞では「この像は,北村西望氏の作家としての魂が込められたもの,神戸高等工業学校の職員・卒業生・生徒よりなる学校の精神を人格化したもの,従って廣田は胸像のモデルになっただけで,これはもはや廣田ではない」と言われていることから,ここでの「神」は「魂」あるいは「精神」の意味であることが分かります.

 また胸像の足元には,廣田先生が掲げられた「規律」「持続」「執守」の三徳からなる教育理念とSPARSAMの碑文が埋め込まれています(この碑文は,神戸大学工学部創立90周年の2011年に修復されております).なお廣田先生が当初掲げられた三徳では「執守」ではなく「執着」であったことを申し添えます.この三徳は今日においてもエンジニアの心得として含蓄のある教えであると言えるでしょう.また,SPARSAMはドイツ語で「倹約」を意味し,廣田先生がドイツ留学時に体得された思想でありますが,現在の省資源の考え方にも通じるものです.

 以上ご紹介しましたように,この廣田先生の胸像は,戦争のため一時は無くなってしまい,戦後に復元されたものではありますが,廣田先生の詠まれた歌にもありますように,創立時の精神をその中に留めつつ,ずっと我々を見守っているようです.

【追記】胸像の型を取っていただいた当時の電気学校の関係者,胸像の復元および修復にご尽力いただいたKTCの皆様および東京電機大学の関係者にはここで改めて感謝申し上げたいと思います.また,この廣田先生の胸像の由来については,KTC元常務理事の幹敏郎様の記事*を参考にさせていただいたことも申し添えます.ここで紹介した廣田先生の一首は,單松遺風(廣田精一先生遺稿)454頁に記載されているものを引用させていただきました.
*幹敏郎, 神戸高等工業学校 初代校長廣田精一の銅像由来, KTC機関紙, No.73, pp.51, 2011.

廣田精一先生の胸像の紹介動画

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